VOL.1
「匠創庵」のもう一つの思い
茶室をオフィスへ
2022/1
利休生誕500年後の茶室は・・・・
2022年は利休生誕500年の節目の年です。
利休の時代に茶室の形態はほぼ完成をみてその後もその時代の茶人が創意工夫を凝らせて創ってきました。ただ現代においては過去の写しや好みを参考にして造るだけで革新的な茶室が出てきていないことは非常に残念です。(ただ単に斬新な茶室はいろいろでてますが・・・)
利休は伝統の中に常に革新的な美の変革者であり、生誕500年のいまも生き生きと繋がっております。ただ今後利休の精神を次世代に繋ぎさらに500年の歴史を作っていくには現代の我々が革新的な美の変革者にならなくては伝統は滅びるのみです。
「匠創庵」のもう一つの思い 茶室をオフィスへ
コロナで我々の生活は一変しました。テレワークが一般的となりオフィスの在り方が変わってきました。いままでは集まって仕事をする場所でしたが、今後はビジネス交流や自分磨きの場になって行くのではないかと思います。そんな意味でもテレワークで出社しなくてスペースの余ったオフィスに茶室が求められてくるのではないでしょうか?「匠創庵」のような組立式であればオフィスの移転に合わせて臨機応変に移動が可能です。
その昔、豊臣秀吉は小田原攻めに金の茶室を持ち込んでおりますし、織田信長や豊臣秀吉が茶室を戦場の代わりにロビー活動の場として茶道を取り入れたことからも、現代のビジネスの場でも禅と深く結び付いた茶道は大いに生かされてくること間違い無しです。
特に海外からのゲストのミーティング前に一服のお茶でもてなし、瞑想や禅の精神を語り体験いただくと、すでにこちらに駒はあり商談も決まったようなものです。笑
また、昔は大名や武家・公家の方々が、お金に糸目を付けずに最上の仕事を依頼して、職人も「これでもかって」自分が持っている技以上の仕事をしてきたので日本の伝統の技は磨かれ発展してきました。その役割をこれからはビジネスの世界で活躍する若い世代が担っていくことが日本文化の発展に繋がります。明治時代には益田鈍翁を筆頭に財界で活躍していた方々が茶道を嗜み文化を築いてきました。大河ドラマ「青天を衝け」の渋沢栄一翁も飛鳥山の邸宅に「無心庵」という茶室を持って、政財界の方々を招いてはお茶会を開いております。特に有名なのは、徳川慶喜公の復権を果たすため、伊藤博文や井上馨、桂太郎、益田孝(鈍翁)を招いての明治38年7月22日茶会です。
今回は組立茶室「匠創庵」を中心になぜいま茶室なのか?とのお話をさせていただきました。
今後は定期的に茶室について、ディテールも含めてテーマごとにお話させていただきます。
楽しみにお待ちください。笑
有限会社 椿建築デザイン研究所代表取締役
椿邦司
椿邦司のサイドプロジェクト
SIDE PROJECT